人生とは、産まれた時から、
挑戦の連続です。
父親になってわかったことなのですが、
小さい子供は1週間も経てば、
なにか違うことが出来るようになっています。
それは、
我々なら簡単にできる事なのですが、
彼らにとっては新しいことです。
生後3ヶ月位の子どもが
「自分の手を発見」
して、
手を眺めたり、口に近づけたりしています。
(ハムハムしてます)
新しいものを発見し、
それを人生に取り入れようとしているわけです。
我々なら普通に言葉を操ることはできるのですが
(少なくとも日本語は)
小さな子供はそれも挑戦です。
どのような発音をすれば
世界がどう動くのかを実験し、検証しているような気がしますね。
もちろん、
われわれだって挑戦の連続のはずです。
手を見つけたり、
言葉を操ったりということは
かなり昔に出来るようになってしまったので、
今はもっと違うことに挑戦しているでしょう。
スマホでこの文章を読んでいる人は
以前にスマホを使うということについて、
挑戦したはずです。
当時はまさか、
指で画面をなぞるだけでスクロールするなんて、
魔法のようだと感じていたかもしれません。
しかし、今だと
それは当然のこととなっているはずです。
基本的に挑戦は新しいことに対して行うので、
新しい何かを見つけて、
挑戦して、
それを自分の人生に取り込んで、
消化する。
それを、今まで、
延々と繰り返し続けてきたというのが、
我々の人生でしょう。
子どもはその回数が少なく、
大人はその回数が多いという、
違いはありますが。
しかし、いつの日か
挑戦の数は少なくなってきます。
それはなぜかというと、
多くのことに挑戦してきた人は、
「人間の幅」
が広がってきているので、
挑戦しなくてもいい人生になるからです。
大人と子供をくらべてもそうで、
我々はもう
噴水を見つけても飛び込んだりしないし、
鳩を見つけても追いかけたりしません。
昔は挑戦したはずなのですが、
今はもう、
その挑戦があまり意味のないことであることを
知ってしまっているからです。
なので、
大人になりすぎると、
挑戦しなくても良い人生になってしまいます。
また、
ここが重要なのですが、
とてもエキサイティングだと思って挑戦していたことも
いつしか日常になり、
退屈になってしまいます。
挑戦し、日常になった結果、
人間の幅は広がったはずなのに、
人生は退屈になってしまうのです。
それがいいことかどうか、
一概にいうことはできません。
退屈といえども、
安寧に暮らしていけるわけですから、
それは精神的には安定していると思います。
例えば、
僕は8年くらいシンガポールに住みましたが、
初めの頃はそれはそれは大きな挑戦だったのですが、
いつしかそれは日常となっていました。
(今は日本に帰ってきてます)
移住当初はなんでも刺激的だったのですが、
慣れてくるとローカルの人に混じってフードコートでご飯を食べてましたし、
ローカルなバスで移動もしてました。
退屈とは言えないまでも
刺激的ではない場所になってしまいました。
ここで人間、2タイプにわかれます。
つねに挑戦し続けないと駄目なタイプと
日常が広がって安心して生きていけるタイプ。
僕は前者の気質が強いので、
日常となったシンガポールでも
いろんな挑戦をすべく、
新しい事業を始めてみたり、
違う人脈を作ってみたりして、
「人間の幅」をどんどん広くしていきました。
起業家にはこのタイプが多いのかなと思います。
もちろん、
前者がよくて後者が悪いと言っているわけではありません。
むしろ、
人生を幸せに生きていけるのは
後者のタイプかなと思います。
しかし、もう、生まれついての気質なので、
仕方ない・・・ので、
今でもずっと挑戦し続けています。
そのことを
「すごいですね!」
と言われることもありますが、
さてさて、どうなんでしょう。
ちなみに僕は
「食」に関しては幅が全く狭くて、
基本、何を食べても美味しいタイプです。
高級とかレア物とか関係なく、
なんでも美味しいです。
もし、一流のシェフが高級食材で作った料理しか
美味しいと感じなくなってしまうと
人生、相当、苦しいだろうなと思います。
吉野家の牛丼を美味しいと思えないことが
人生の幸せとは思わないので。
ただ、
挑戦についてもそれは同じことが言えて、
今では手を発見しても、
まったく刺激的とは感じません。
(なのでハムハムしません)
ebayから商品を輸入して、
ヤフオクで販売して1万円の利益が出たとしても、
現在の僕にはあまり刺激的ではないです。
昔はあんなに興奮したのですが・・・
この結果に意味が無いと言っているわけではなく、
むしろすごいと思うのですが、
これは僕の日常的なことなので、
刺激にすることができないといった感じですね。
ということで、
挑戦をすると
人間の幅が広がり、
その結果、日常が増えて、
刺激的だったことが退屈になり、
ではもっと刺激的なことを探して挑戦し、
また人間の幅が広がり、日常が増えていく。
これが人間の成長サイクルと言えますが、
それがかならずしも
幸せとはつながらないかもねという
なんかどうでもいいことが
今回言いたかったことでした。
企業活動も似たようなことが言えて、
いきなりドカーンと売上が立っちゃった企業よりも
徐々に徐々に売上を伸ばしていった企業の方が、
結果的に長続きするのは
成長と退屈のサイクルに関係があるからかなと思います。